言語と志について
前回の記事のまとめとしては、好奇心からくる行動力ってのが彼のズバ抜けたところであって、他はあくまでその結果でしかないということです(賞とか経歴とか)。大学名とか経歴だけで「すごい」とか、「雲の上の存在だ」ってつい思ってしまうけれども、
そうじゃないんですね。そこで圧倒されたというよりかは寧ろ、彼のカンボジアの住民に対する誰よりも深い慈愛…そこに圧倒されました。しかも自分の命を削ってまで。本当に素晴らしい方です。
今回は言語について、色々書きたいことがあります。
彼は6ヶ国語を喋ると仰いました。
でもこれって、必要に迫られてのことだったのだと私は思います。
確固たる志を持っていた彼にとって、言語というものは大きな障壁であった。
でも志のパワーというものは計り知れない。
それに彼は逃げ場もないわけですから、(周りの人の協力で辿り着いたわけだから)必然的に前に突き進む以外道がないわけですよ。後戻りできなかった。そして着実に現地で言語を学んでゆきます。
その結果が6ヶ国語だったんですね。
私は数字よりも彼の行動範囲にただただ圧倒されていました。
私は3ヶ国語喋るのですが、これだって必要に迫られてのことでした。ノリで海外に発った私ですが、やはり言語は生きてゆくために必要でした。
一度、グンと語彙力を伸ばした時期がありました。それはですね、恋をした時です(笑)
どうしても彼と話してみたくて、家で何度も音読練習をしたり、メールのやり取りをしている時に辞書を引きまくったり。
…やはり必要に迫られてのことでしたwwww
彼の語彙力というものは現地で生きてゆく為に、また志を実現する上で必要であったんですね。
でもよくよく考えたら、その障壁って自分の成長の為に自分に課したものでもあるんですよね。
やはり彼は偉大な方です。
今度本当に会うことにしました。
特技も言語だ!
彼は空手8段でした。とある民族のもとにやってきた彼は、神の力を持った者にしか割ることのできない固い殻があったそうなのですが、それを見事割って見せた。
すると、その村の民族からの待遇がガラリと変わったそうです。
貴方の特技も外国語なんですよ。
そう仰いました。
それを聞いて思い出した、中2の私が単身ドイツに行くことができた理由。それは、スポーツという外国語の能力があったからです。
ひとつ特技があったから、怖くなんかなかった。技が決まった時はみんなで拍手を送り合ったりしたものです。
スポーツの力は偉大です。昨日は学校の体育の授業でテニスをしたのですが、日本語を喋らなくても、うまく行った時やミスをした時、思わずみんなで笑ってしまうんですね。
この笑いは言語や国境なんてものを超越するんです。私はこれを、幼い頃から身を以て体験していました。
彼の言う特技とは、スポーツだけではありません。それは写真や絵といった芸術であったり、食であったり、本当に様々です。
彼の成したことは素晴らしいことです。ですが私たちに出来ないことでは、決してありません。いや寧ろ、出来ます。
志を持つことで。
ではどうすれば彼のように、自分の命を削ってでも実現したいと思える、そんな志を持つことができるのでしょうか。
答えは簡単です。今よりももっと、社会に目を向けることです。
現場に赴くことです。そこで話を聞くことです。自身の目で見ることです。
そして学び続けることです。書という人に出会うことです。
知的好奇心を持ち続けることです。
問題を炙り出し、自分がそこにどうアプローチしてゆけるか考えることです。
そうすることで、貴方が命を削ってでも成し遂げたい志を持つことが出来る。自分の存在意義がわかる。
あまりしっくり来ないかもしれないけど…
少なくとも、私はみんなより劣ってる、役立たずだ、そんな考えが付纏わなくなると思います。
私はこの為に生まれてきたんだと、まあそんな出会いは口を開けて待っているだけでは舞い込んできてはくれませんから、自分の足でまずは外に出向くことですね。
では最後に松陰先生風
「貴方の志は、何ですか?」